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想念の観察

ヨガをしてると、「瞑想」という言葉もなじみが深いけれど、瞑想をしているとき、心の中はどういう状態なのか?という問いに対して、ずっと「無」であることなんだと我流の解釈をしていた。そして、瞑想している間、一所懸命に「無」であろう事を意識している自分に今更ながら気が付いた。

無であろうと思うことは、既に無ではないし、瞑想とも違う、と思う。ではどういう状態が「瞑想」なのか。分かるところから考えて「無」の逆は何かな?と思うと、やっぱり「念」なのかなと。

意識して念じることは、完全に無とはかけ離れているが、でも意識しなくても念ともいえる想念のようなものが流れているなあと気が付いた。では、「想念」の定義は何だろうと、ググったら、こういうサイトを見つけた。このサイトにある内容は、自分にとって目から鱗の概念だったんだけど、読んでいてなるほどと色々納得できた。

この中に、想念の内容について、「観察は行うが、それについて一切判断しない。」というような文言が出てくるのだけど、この言葉は、以前IYCリトリートで出会ったヨギが、「物事を観察してもいいが、ジャッジはしない」と言っていた言葉とも重なり、私は、想念の観察が「瞑想」なのではないのかと、やっと気が付いた。

面白いのは、自分の頭の中を流れている想念は、自分が生み出しているものではないということ。以前集合的無意識について、のみさんに習ったことを、ちょびっとブログに書いたことがあるんだけど、これは、顕在意識ではなく、潜在意識に措いて、実は自分と他人は繋がっているという話。

この自分と他人が繋がっている集合的無意識が海のように繫がり、地球レベルの総意となるという考えだったような気がする。

この集合的無意識で色んな意識と自分の意識が繋がっているとしたら、想念としてテレビ番組のように頭の中に色んな念が始終流れてくるということは、理解できるような気がする。

先ほどのサイトにもあるけれども、このいちいち流れてくる想念を自分自身と切り離し、観察し、自分が同意できるなという想念を選び、行動する。こうして一歩引きながら想念を観察する習慣が出来れば、もっと冷静で適切な行動に繋がっていくのではないかと思うし、汚い想念が流れてきても、自分自身の考えではなく、ただ番組が流れているだけだと思えば、そのまま流してしまえばいい、という風になる。

汚いもの、悪を排除しようと躍起になっても、流れるものは流れる。それを第三者として受け流し現象化しなければ良いのだいう考えはとても面白いなと思った。

想念は、自分が意識せずとも、とめどなく勝手に流れているもので、その流れを止めることはできないし、無理にとめようと思うのもまた想念。そういうものをいちいち受け流していくことが、想念を観察することであり、瞑想なのかなという風に思ったりします。

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